2008年9月の小ネタ
コンピュータ囲碁について、王銘琬の危惧
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情報処理学会と電子情報通信学会との合同でのフォーラム、 FIT 2008 に参加してきた。といっても、これといって目当ての発表があった訳でもなく、 座長の仕事を引き受けてしまったから。割り当てられたセッションは 質疑応答込み20分の発表が8件、全体で3時間の長時間セッション。 全国大会とか FIT ではありがちな、査読のない発表を3時間も聴かされ、 聴講しているのはほぼセッションの発表者のみ、 そのため議論もなく座長自らが質問を捻り出さねばならないという状況は憂鬱なものだが、 それでも8件もあればひとつくらいは面白いと思える発表があるもので、 それなりに楽しく過ごせた。
それはさておき、担当セッション終了後、まだパネル討論が続いていた 「コンピュータ囲碁最前線」の会場に行ってみた。 プロ棋士の王 銘琬(メイエン)の他、ロボカップの松原先生、 コンピュータ囲碁ソフトの開発者らが顔を揃えたパネル討論、 会場に入った時にはすでに何人か喋った後だったものの、なかなか面白い話が聴けた。
中でも面白かったのは松原先生の話で、近年になって俄然注目されているモンテカルロ法は言わば不完全情報ゲームのためのアプローチであり、 完全情報ゲームである囲碁に不完全情報ゲームのアプローチが有効だったのは、 今の計算能力の前では、囲碁はあまりにも場合の数が膨大であるためほとんど不完全情報ゲームと同じように捉えるしかないということを意味しているのではないか、という内容。 数学的な定義を与えて納得できる話ではないが、なんとなく感覚的にはそんな気もする。 もっと多方面から意見を募ることで、この話題はもっと深められるような予感はある。
さらに輪をかけて面白かったのが、王九段のコメント。 まず現状のコンピュータ囲碁の能力についてのコメントとして、 「モンテカルロ法は凄い」を連発。多くの研究者や開発者は 「モンテカルロ法だけでは強さに限界がある」といった常識的なコメントを発していたのに対し王は、 モンテカルロ法の導入により、基礎的な筋力としては大変なものをすでに備えている、 と述べている。この筋力をベースに、いろんな事を教えこんでいけば、プロの実力にすぐに追いつくだろうとまで発言。さらにはこれを称して、 「アラレちゃんを前にした則巻センベエのような心境」と例えていた。 つまり、凄まじいパワーはあるもののその使い方がこなれていないというアンバランスさを見ている訳だ。 一方で、脅威のパワーを目の当たりにした驚きも表現されており、 巷間よく言われるように、この人は話が実にうまい。
さて、そうした現状に対する感想を踏まえた上で、 コンピュータ囲碁がトッププロ棋士に勝つ「Xデー」はいつ来るか、 という問いに対し王は、Xデーがいつかという具体的な予測は避けつつ、 トッププロ棋士に勝てる囲碁ソフトが出現することよりも危惧していたのが、 囲碁が「完全に解かれる」、つまり必勝法が発見されることにある、と述べていた。 それにより「人間が囲碁をやる意味が無くなってしまう」日が訪れることを恐れているというのだが、 先の松原先生の話を受け、モンテカルロ法のような、不完全情報ゲーム向けアプローチが今後もコンピュータ囲碁の中心的アルゴリズムになるというのであれば、 完全に解かれるという点についての心配はなく、あったとしてもそれは遠い先の話であると感じた、とのこと。 そして、完全に解かれることがない限り、例え人間のトッププロがコンピュータに勝てなくなったとしても、人間が囲碁をやる意味は無くならないと答えた。
しかし、これは本当にそうなのだろうか。これはあくまでも仮の話だが、 人間の研究者・開発者が介入することなくコンピュータ囲碁が強くなり続けることができるようになったとしよう。 いや実際、評価関数のパラメタチューニングなどはすでに人手を離れており、 コンピュータ同士が対戦することで、限界はあるもののどんどん強くなっていける。 そうして、人間はもはや太刀打ちできなくなり、コンピュータ同士で際限なく強くなっていったとしたら、何が起きるか。
たとえば新しい手筋がコンピュータによって発見されるだろうか。いや、 現状コンピュータは「手筋」という概念はほとんど持っていないに等しい。 手筋というのは実に人間らしい思考法なのだ。手筋に頼ることで、 人間は思考量を節約している。しかしコンピュータにはそんな節約はほとんど必要ないから、 一連の石の進行を「手筋」として切り出す必要がないのだ。
ということは、だ。人間が追いつかない程強くなったコンピュータから、 その強さを支えている「知識」を直接的に引っ張り出してそれを人間が理解して取り込むということが、 できないかもしれないのだ。少なくとも現状、コンピュータはその着想を言葉やデータにして人間にそれを提示する術を持たない。 人間に唯一残されたやり方は、コンピュータ同士の対戦棋譜を並べて、 そこからコンピュータの考えを推測したり新しい手筋を発見したりという、 間接的な学習しかない。つまり遠い未来、人間にとっての囲碁はさながら考古学や文芸評論のように、 資料からそれが何であるかを推測し読み解く事のみが課題となるのかもしれない。
これと良く似た状況が、テッド・チャンが Nature に書いたショートショート 「The Evolution of Human Science (人類科学の進化)」に描かれている (「あなたの人生の物語」(amazon) に所収)。 こちらでは科学の研究が超人類によって人間の理解を超える水準でなされており、 人類はその成果を単に利用するだけか、 超人類の研究内容をリバースエンジニアリングしてそれを学ぶしかできなくなってしまった世界の話だ。 成果が利用できるのだからそれを有り難く使っていればいいではないかという一方で、 人類の知的水準は引き続き高めて行かねばならない、 それによりいつかは人類の知性が超人類を上回り、かつての地位を回復するだろう という願望の元、超人類科学の解釈が進められている背景が語られている。
人類の知的水準を隔絶的に上回る存在が現われたとき、 人類はどう対処していけばよいのか。その時のことを考えると、 どうしてもやっぱり暗い気持ちになるのを止めることができない。 幸いというべきか、現状考えられているような人工頭脳の仕組みでは、 先に挙げた例で言えば評価関数のパラメタを自力で向上させることはできても、 評価関数という仕組み自体を別のものに置き換えるといった改善を自力で行うことはできない。 科学分野においても、決められた公理系内で様々な証明を探索発見するような機構は作れるかもしれないが、 公理そのものを定めるような、ペンローズに言わせれば非計算的な創造性を発揮できるような仕組みが作れるかどうかは、 定かではない。少なくとも当分作れるアテはない。
「まるいち開発室」で柳原望さんにお会いしてきた
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DAICON7 の事をそういえば全然書いていなかった。
本来は行く予定がなかったのだが、「まるいち的風景」の作者、 柳原望さんが「まるいち開発室」という企画に参加されるという情報を聞きつけ、 慌てて岸和田へ飛んだのだった。

企画の目玉は、この日のために京商が大急ぎで製作した、 「マノイ まるいちバージョン」だったのだけど、 いやぁ確かにこの無表情ロボットがチョコマカと動く様はかわいい! しかも、京商の岡本さんが「まるいちじゃなきゃこんなに頑張らない」 とまで言った、肘関節にサーボを追加しての「なぐさめる」動作のなんとも可愛いらしいこと。
とはいえ僕の用事はマノイではなくあくまでも柳原望さんご本人にお会いすること。 幸い、企画時間中に質問コーナーがあったため、その時間に色々質問できたのと、 企画終了後に少しお時間をいただいてお話を伺うことができた。 その一部を紹介すると、
- 単行本一巻のあとがきに書かれている自転車は、いまだに現役。
- 行動トレース方式は実現が非常に困難であることは承知の上で書いていた。
- まるいちが「行動トレース方式」を採用した理由の一つは、たとえば「掃除」なら、掃除のやり方、あるいは「掃除とは何か」について、メーカーの考えを押しつけられるのが嫌だったから。
などなど。まるいちにしろ「ケータイくんといっしょ」(amazon) にしろ、 道具と人、生活の中の道具、人と人とのコミュニケーションと道具の関係など、 しっかりとした観察と考察の上に描かれた作品なんだなぁということが、 お話を伺っていて感じられた。
ところで、御自身のブログで
「少女漫画ど真ん中気分で「まるいち」を描いていたんだけどな。 反応してくれる層が違うっていうコトは、やっぱりかなーり間違ってたのかな・・・。」
てな事を書かれておられますが、 僕はまるいちとかケータイくんだけじゃなくて、 千沙姫シリーズとか「時間旋律」「コントラクトキラー」なんかも普通に好きです。 どっちにしろ違う層として反応している事に変わりはないんですが。
Firefox で XHTML1.1 文書の表示の際、xml:lang の設定がフォントに反映されない
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megaui.net/fukuchi のページのエンコーディングを EUC-JP から UTF-8 に変更しました。
さて、Firefox を使っていて常々疑問に思っていたのだけど、UTF-8 でエンコードされた日本語ページを表示すると、 日本語フォントの設定が無視されるという現象がある。僕の場合、 日本語 Sans-serif フォントには M+ + IPA を指定していて、 EUC-JP のページを表示させるとちゃんとこれが反映されているのだけど、 UTF-8 のページだと、残念ながら読むに耐えない和田研フォントで表示されてしまう (僕の環境では)。
もう少し詳しく調べてみると、UTF-8 エンコードされたページの場合、 その文書が何語で書かれているかの指定が正しく把握できた場合には、 設定通りの日本語フォントが使われることになっている。例えば HTML4.0 文書で、 html 要素の lang 属性が "ja" になっていれば期待通りの動作になる。
megaui.net/fukuchi 以下のページは XHTML1.1 で書かれているのだけど、 XHTML1.1 では html 要素の lang 属性は廃止になっており、 xml:lang により設定することになっている。ところが、xml:lang を "ja" にしても、 設定した日本語フォントが使われないのだ(Bug 234485)。 この問題は Content-Type を application/xhtml+xml にしていても発生する。
同種の問題として、CSS2 のセレクタが xml:lang の設定を反映しない (Bug 35768) というものが報告されているが、これはすでに修正されている。
ということで、全ページ XHTML 1.0 Strict に変更してみた。 もともと XHTML 1.1 に特化した構造にはなっていなかったので、 これといった支障は (今のところ) なかったけど、後退するのはなんとなく悔しい。